今日は淡路島に住んでいる時に亡くなったチワワの〃ぷっぷ〃の事をお話しします。
今でもほとんど毎日あの時の事を思い出し、申し訳無さと後悔で胸が締めつけられます😢
何重に蓋をしても、手放しても、手放しても奥底から湧いてきます。
今対峙しなくてはならないのだな!と気づきました。
ぷっぷは子供を産むための犬でした。ペットショップからうちに来たときは4才でした。当時は団地に住んでいましたが、全くと言っていいほど吠えないおとなしい子でしたから周りに知られる事もなく過ごしてきました。
5人で暮らしていたところから、淡路島では3人に後に2人になり、ぷっぷの頼りはわたしになったのだと思います。それなのに…
淡路島での生活はほんとにお金がなくて
大変でした🥹
私の中でぷっぷの優先順位がとても低かった😥
人間が食べるのが精一杯で、シャンプーや爪切りは家で出来ても、トリミングに連れて行ってあげる事はなかなかできませんでした😢
仕事が優先、子供が優先、わたしが優先。ぷっぷには最低限の事しかしてあげられませんでした。
ぷっぷが、可愛くて、おきゃんで、ユーモラスで、イタズラで優しい子だったなんて忘れていました。
亡くなった年は暑い夏でした。
子宮の病気になった時は薬で治るとしか思っていませんでした。
薬を飲ませて3日目に大量の膿が出て、ずっと出ていなかったうんちも出て、もうこれで治る、手術もしなくて済む。お金が掛からなくて済む。それしか考えていませんでした!ぷっぷの体が弱っているのに気づくことなく…
次の日仕事を終えて帰ったのは夜8時過ぎ。
玄関を開けてすぐにぷっぷを呼ぶと、ムクッと起きて振り返りました。「やっと帰って来たね」という顔をしていました。スプーンでご飯をあげるとほんの少しだけ入りました。まだ食べられないんだ😥薬は後にしようと思い、自分達の食事を済ませ、携帯のゲームをちよっとやろうとしていたらそのまま眠り込んでしまいました。12時頃に目が覚めて薬をあげにゆくと、ぷっぷは目を開けたまま動きませんでした。
弱っていたのに、せっかく帰ってきて側に居られる時だったのに、一人で逝かせてしまった。
一日位仕事を休んで側に居ることも出来たのに、お金とぷっぷを天秤に掛けたわたし。なんて薄情な‼️自分が許せません‼️
ぷっぷのお葬式には子供達全員があつまりました。淡路島に行く事を反対して疎遠になっていた子供も来てくれました。
仕事、仕事で家には寝に帰るだけのようなわたし。父も居ない母も居ない様な生活の中、ぷっぷが子供達にしてくれた事はあまりにも大きいです!
亡くなってからその与えてくれた愛情に気づくどうしようもないわたし。
お葬式が済んでから、家に居ても、仕事をしていても、後悔と申し訳ない気持ちで泣き暮らしていました。
1週間くらいしたある日の朝。子供を高校に送る車の中で、いつもそうしていたように、ぷっぷがわたしの足をトントンと叩いて呼びました!隣にいた子供に「今ぷっぷがきたよ!」と言った時にわたしの頭の中で「辛いって思い出さないで、可愛かったって思い出して!」とぷっぷからメッセージがきました🍀
そんな体験は初めてでした。
その晩離れた所に住む子供にあったことを話すと電話口で号泣してしまいました。子供はお葬式の後、ぷっぷに手紙を書いたそうです。「お母さんがすごく負担に感じているみたいだからお母さんのところに早く行ってあげてほしい」という手紙だったようです…
今わたしが感じるのは、ぷっぷがわたしのところに来てくれた時には、もうぷっぷはわたしを許してくれていた。そもそもわたしを恨んでなんていなかった!という事。
そして一番悲しいはずの子供が、一番ぷっぷに会いたかったはずに違いないのに、お母さんのところに行ってあげて欲しいと頼んでくれたその想い。
自分が許せないというのは、ぷっぷと子供の想いを受取ろうとしない自分がいるからだと!どれだけ我が強いのよ!!🤬
今、氷🧊が溶けていくように二人の想いが心に沁みてゆきます。
心から感謝します。
ありがとうございます。